久留米絣の創始者 井上 伝
井上伝さんを語らずして久留米絣を語ることはできません。
久留米に生まれ、痛快で激動な生涯を送った井上伝。
その生涯の一部をご紹介したいと思います。
井上伝は1788年12月29日、現在の久留米市通外町に米屋の娘として生まれました。
当時は農家、商家の娘は幼少の頃から機織りを学び手織りをして生計を助けていました。
伝も8歳の頃から機織りで暮らしを助けており、手先の器用さはピカイチだったそうです。
その後、12~3歳の頃に衣服が白い斑点のような模様になっている箇所に気が付きました。この斑点を調べるために布を解き、糸1本1本の藍色と白くなった部分から柄が生まれることを発見!
これが久留米絣のはじまりです。このようなことから久留米絣は伝の探求心が生み出した織物と言われています。
伝は21歳で結婚、28歳で夫が病死、3人の子供を育てながら弟子の育成指導を続けていきます。伝が40歳の頃には1000人を超える弟子がいて、そのうち400人が各地で開業したといわれています。
この人数からもわかるように人望のある懐の深い人柄、熱い情熱がさらに久留米絣を全国に知らしめることになっていき、久留米絣業としての地位が確立されていきました。
【井上伝 愛用の品】
上から 筬(おさ)、杼(ひ)、眼鏡、ハサミ
伝は明治2年4月26日、82歳でこの世を去りました。
毎年命日である4月26日は絣の業界関係者、末裔の方たちで久留米市寺町の徳雲寺で始祖祭の法要が執り行われています。
たくましく生き抜いたこの一人の少女が作った絣が大きな発明となり、その後の産業を動かし、文明開化で花開くことになります。
これまでにない発想でアイデアを生み出し、そこに技術が加わってまさに「イノベーション」を巻き起こした起業家、久留米に生きる私も井上伝さんのおかげで今の私たちがあることに感謝し続けていきます。
【久留米市寺町 徳雲寺】
株式会社オカモト商店 野口 麻香
写真:久留米絣共同組合、久留米地域地場産業振興センター